【開園時間】9:30~17:30(入園は17:00まで)
【休園日】月(祝日のときは直後の平日)、年末年始(12月29日~1月1日)
【入園料】大人300円、中学生以下無料
【問合】TEL 052-935-8988
江戸時代には尾張徳川家2代藩主光友の隠居所や成瀬、石河、渡邊など尾張藩三家老の下屋敷があった。明治以降は尾張徳川邸となり、昭和6(1931)年に名古屋市に寄付され、平成16(2004)年に池泉回遊式の日本庭園として再整備された。正門・脇長屋・塀は明治33(1900)年完成の旧徳川邸遺構。
尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。現在の蔵書数は約12万点で、蔵書内容の豊富さが特徴。「蓬左」とは江戸時代の名古屋の別称で、名古屋城は蓬左城とも呼ばれ、その城内にあった書物を伝える文庫という意味を込めて名付けられた。
【開館時間】10:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】月(祝日・振替休日のときは直後の平日)、12月16日~1月3日
【観覧料(徳川美術館・蓬左文庫共通)】
一般1,600円、高校生・大学生800円、 小・中学生500円(毎週土曜日、小中高生無料)
【問合】TEL 052-935-6262
昭和10(1935)年に開館。徳川家康の遺品を中心に、尾張徳川家初代藩主義直(家康9男)以下歴代の藩主や夫人たちの遺愛品、いわゆる「大名道具」1万件余りを収める美術館。国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、国宝9件、重要文化財59件など、種類の豊富さ、質の高さ、保存状態の良さを誇る。
尾張徳川家代々の菩提寺、浄土宗。尾張徳川家2代藩主光友が初代藩主義直の菩提を弔い、慶安4(1651)年に創建。総門、三門(山門)、御成門、本堂、鐘楼、経蔵、開山堂、源正公廟が市文化財、霊廟(御霊屋-ごれいや-)が県文化財、徳興殿が国登録文化財に指定されている。なお、総門および三門(山門)は創建当時の建築物で370年以上前のものであり、本堂は230年以上前に再建された名古屋市内最大の木造建築物である。
【開館時間】 平日 10:00~17:30(入館は17:00まで) 土日祝 10:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】 月(祝日のときは直後の平日)、 年末年始、展示替え期間
【入館料】 一般1,000円(通常)/1,300円(特別展会期中)、小中高生500円、小学生未満無料
【問合】TEL 052-937-3737
ロココからエコール・ド・パリまでの絵画やアール・ヌーヴォーのガラス、家具など、18世紀から20世紀のフランス美術300年の流れが一望できるコレクションが魅力。音声ガイドの無料貸出も有る。
【開館時間】 10:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】 月(祝日のときは直後の平日)、 年末年始・夏期
【入館料】(常設展のみ開催時)
大人700円、高・大学生・65歳以上500円、中学生400円、小学生以下無料
(企画展開催時)
大人1,000円、高・大学生・65歳以上800円、中学生600円、小学生以下無料
【問合】TEL 052-931-0006
かつて、名古屋(特に東区から北区)は海外に輸出される陶磁器生産の一大拠点だった。横山美術館では、明治・大正時代に制作された輸出陶磁器の「里帰り品」を中心に展示。日本初の洋風陶磁器であるオールドノリタケをはじめ、国内各地で制作された陶磁器を堪能できる 。欧米で高く評価された繊細かつ大胆な作品は必見。
昭和7年(1932)名古屋陶磁器貿易商工同業組合事務所として建設。タイル壁や半円窓、軒下の装飾などが特徴的なドイツ表現主義を彷彿とさせる建築で、陶磁器のまちのシンボル的な建物。鷹栖一英による設計。1階展示室では戦前~戦後の輸出陶磁器を展示。
【問合】TEL 052-931-4749
慶長13(1608)年、清洲城主であった松平忠吉の養母於美津(おみつ)の方が清洲に創建。慶長16(1611)年、清洲より現在地に移るが天明2(1782)年に焼失。仮本堂を明治5(1872)年、建中寺の尾張徳川家の御霊廟(おたまや)を譲り受け、これを本堂として現在に至る。なお、御霊廟は、5代藩主五郎太のものを2代藩主光友の正室千代姫(3代将軍徳川家光の娘)のものに模様替えしたもの。
【開門時間】9:00~16:00
【問合】TEL 052-931-0342
元和9(1623)年、尾張徳川家初代藩主義直より寺地を拝領して創建。禅宗の庭園「山水菩薩庭園」では、秋になると見事な紅葉を楽しむことができる。江戸中期から残っていた山門は、一部の材料を再利用し令和3(2021)年に新築された。本堂には、義直寄進の本尊釈迦如来像が安置されている。平成23(2011)年に登録地域建造物資産に登録されている。
名古屋市旧川上貞奴邸。大正時代に「日本の女優第1号」として名をはせた川上貞奴が、電力王と称された福沢桃介と共に居住していた和洋折衷の建物を、創建当時の姿に移築復元し文化のみち拠点施設として開館。川上貞奴や郷土ゆかりの文学に関する資料を展示。1階大広間にあるステンドグラス「初夏」は、福沢桃介の義弟で有名なデザイナー杉浦非水の原画をもとに作られた。
【開館時間】10:00~15:30 令和5年11月3日のみ10:00~17:00
【休館日】月(祝日のときは直後の平日)、12月29日~1月3日
【問合】TEL 052-678-2220(公財)名古屋まちづくり公社
豊田佐助は兄の佐吉(発明家・実業家)を支えた実業家。佐助邸は大正12(1923)年に建てられた広い間取りの和館と、大正12年以前に建てられた白いタイル貼りの洋館で構成されている。
輸出陶磁器商であった井元為三郎が大正末から昭和初期にかけて建てた屋敷。洋館、和館、東西2棟からなる蔵、茶室、庭園で構成されており、大正末から連なる記憶を今へ伝えている。建物の見学、レトロガラスと四季の庭を楽める。イベントなども定期的に行っていて、旧応接室をつかった喫茶室もある。
大正9(1920)年に建てられた書院・茶室・土蔵を改修し、多目的ホールを新築して開館。徳川美術館所蔵の百花百草図屏風(重要文化財)にちなんだ庭園が楽しめる。
【開館時間】9:00~17:00
【休館日】月(祝日のときは直後の平日)、第3木(祝日の場合は第4木)、12月29日~1月3日
【問合】TEL 052-953-0051
【URL】https://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html
大正11(1922)年に建設された旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎。現存する最古の控訴院建築で、ネオ・バロック様式を基調としている。赤い煉瓦、白の花崗岩、ドーム等の緑の銅板、屋根の黒のスレートを組み合わせた荘重で華やかな外観、ステンドグラスや漆喰塗り、マーブル塗りなどの高度な技術が使われている中央階段室、内装の美しい会議室がある。現在は、名古屋市の公文書館として市政関連資料の閲覧ができるほか、建物・市政・司法に関する展示がある。
【開庁時間】8:45~17:30
【休庁日】土、日、祝、12月29日~1月3日
【URL】https://www.pref.aichi.jp/soshiki/zaisan/honchokaisetsu.html
昭和13(1938)年竣工。名古屋城と名古屋市役所本庁舎に調和するよう設計された、城郭風の屋根を載せた帝冠様式。基本設計は西村好時と渡辺仁による。外壁は2階の窓下まで花崗岩貼りとなっている。その上部6階窓下までは黄褐色のタイルを用いることにより愛知県が陶磁器どころという意味も含ませている。6階の壁面には白色の磁器タイルを用いて城の白壁をも想起させている。
【開園時間】9:00~16:30(閉門17:00)※本丸御殿及び西の丸御蔵城宝館への入場は16:00まで
【休園日】12月29日~1月1日
【拝観料】大人500円、中学生以下無料
【問合】TEL 052-231-1700
慶長15(1610)年、徳川家康が尾張徳川家初代藩主となる9男の義直の居城として普請を開始。天守閣は慶長17(1612)年竣工したが、戦災で焼失し、昭和34(1959)年に再建。隅櫓(すみやぐら)・門(重要文化財6棟)、二之丸庭園(名勝)、乃木倉庫(登録文化財)等、貴重な文化財がある。また、本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝第1号に指定されたが戦災で焼失。10年に及ぶ復元工事により、平成30(2018)年から公開されている。(天守閣は、現在閉館)
【問合】TEL 052-931-6236
昭和11(1936)年竣工。屋根に赤いスペイン瓦を用い、外壁を白系統に塗ったスパニッシュスタイルになる清楚な外観が特徴で、礼拝堂を兼ねる。佐藤鑑、城戸武男による設計。
【問合】TEL 052-936-5112・5113
昭和6(1931)年竣工。様式は校史によれば近世式とあり、正面部分を半円アーチとし、パラペットにアクセントを施し、2~3階の開口部を外側に少しふくらませて5本の付柱を設けている。外装はスクラッチタイルを用いるなど華やかさを演出しているが、全体に骨太であり、左右対称という原則を保っていることから全体に落ち着いた感じがするとともに、時代の流行を反映した建物。
【開館時間】10:00~15:30 令和5年11月3日のみ10:00~17:00
【休館日】月(祝日のときは直後の平日)、12月29日~1月3日
【問合】TEL 052-678-2220(公財)名古屋まちづくり公社
※見学ができるのは、レストラン等のテナント利用が無い建物の一部となります。見学を希望する方は、隣の旧豊田佐助邸にお尋ねください。
大正13(1924)年に陶磁器の貿易商として財を成した春田鉄次郎が「関西近代建築の父」と呼ばれる建築家の武田五一に依頼して建築したと言われる邸宅。アールヌーボーの余韻の漂う建物は、南側が洋館、北側が和館の和洋折衷となっており、昭和22~32年頃まで米軍により一時接収されていた。
マナーを守ってみんなで「文化のみち」を守りましょう。